なたは明日から、この瓶と一緒に歩いてもらいます。
タカハシはそう言って、幼稚園児ほどの大きさをした、赤茶色の物体を机の上に持ち上げた。なかからは甘辛い匂いがただよってくる。
赤や黄色の車が行きかう大通りに面 したファミレスの窓際のテーブルで、小さなノートパソコンが広げられる。ほぼ水平まで開かれた画面
には、天を仰ぐモアイ像の横顔みたいな区の全域が、薄水色と黄色とピンクの淡いもどぎついトーンで浮かんでいる。斜め右のテーブルにむかいあって座った女たちは、テーブルの中央におかれた灰皿を軸に点対称のポーズでたばこを吹かしている。
「赤丸のついているところが、契約をしていただいているお宅です」
徴は地図いちめんに散らばっている。床いちめんには、タイルの水玉模様が散らばっている。画面の先では、髪を後ろで結えた方の女が、黒いダウンジャケットを腰まわりに落とし上半身はこれまた黒いニットタートル一枚になって、右の腰に回した左手でニットの裾をたくしあげ、白くあらわになった脇腹を中指の先端でさきほどからしきりに掻いている。赤い虫刺されか湿疹の跡がやっぱり散らばっている、かどうかはここからは見えない。
「念のため、念のためもう一度聞きますけど、私は何を売るんでしたっけ?」
「『ソース』です。グルメ印のカメソース」
「クメ印?」「いえ、グルメです」「クルメ?」「グ・ル・メ」どうにも聞き取りづらいのは、クルマの走る音のせいだろうか。
「丸の周辺をダブルクリックすると、詳細な住宅地図が出ます」
地図は一筋ひとすじの路地まで映るサイズに拡大される。水道橋三丁目の二四の一六の家がやや歪んだL字型をしていることや、その隣家が敷地ギリギリに建てられていることが、いまはわかる。
「こんな地図、どうやって作るんですか?」
「航空写真ですよ。電話帳に登録されているご家庭なら、番号を入力するだけで周辺の地図が表示されます」
私はテーブルの右辺に沿って立てられたメニューを手に取り、今週からはじまったという『冬のイチゴフェア』の「イチゴのはちみつクレープ」と「イチゴのシャンテリー」ではどっちがいいだろう、「冬の」なんて書くと、ちょきっと年配だったり訳知りだったりのひとから「イチゴは冬ではなくて春の果物なのですまったくいまでは旬というものがなくなって……」などと言われてしまいそうだけれど、子供のころからクリスマスむけハウス栽培の女峰やアイベリーになじんでいる世代はイチゴを冬の果物だと思っているからやっぱり「冬のイチゴフェア」には心が躍る、なんて考えながら店の電話番号を探す。
「これを打ち込んでみてもらっていいですか」
「あなたにもなれてもらわなければなりませんから、ご自分で試してみてください」そう彼は、入力画面の表示されたパソコンをキーボードがこちらを向くように回す。週刊誌サイズのそれは、私の家にあるのとはキーの配列が違って見える。よくわからないキーが最下段、ほんらいはスペースキーのあるあたりに並んでいるが、数字キーの位置は変わらない。
「試用期間が終わったら、あなたにも一台支給されます」
こんなヘンなものをもらってもしょうがないとも思うのだが、誰もくれるとはいっていない。フランス語でも「大学」は「universit」だと知ってちょっと身近に感じる大学一年生よろしくそこだけ見馴れたキーを頼りに十桁の数字を打ちこむと、画面中央右に細長いグレーの長方形が表示される。