井土 松本さんは、レジュメの中で学生会館を根城にしてる連中を一括りに左翼学生と見なして、嫌悪感を露わにしているけど、俺はそれに対して異議がある。法政大学の学生会館に普段は一サークル員として居て、なんにも「政治」的な活動なんかしてなかったけど、自主管理をしている以上、どこかで自分もノンセクトの立場で運動を担っているという気持ちがあった。だから、早稲田の学館闘争でも、ノンセクト学生とセクトの差異を僕は見るし、ノンセクトの学生やOBにははっきりいってシンパシーがある。だから、松本さんの嫌悪もセクトに対するものであれば分かるんだ。ところで、レジュメを読むと、松本さんは早稲田に入ったときから現代詩に興味を持っていたようなんだけど、あまり歳も違わない僕からすると、現代詩に興味を持っている事自体が不思議に思えるんですよ。
鎌田 革命ごっこに嫌悪を感じて、現代詩には感じない不徹底性が問題だと思う。魯迅がエセーニンを見ていた視線がなぜ持てなかったのか。
井土 そもそも現代詩には最初はどういう形で触れたんですか?
松本 現代詩の方がよっぽどマシだと思える瞬間があったからでしょう。ただし、詩を書いてしまうことの羞恥心からは一生逃れられないと思いましたが。どうして「革命ごっこ」と現代詩が同じメンタリティーに回収されるのかな。僕は「革命ごっこ」をしている連中を単にバカにしていただけです。彼らも詩人と並んで一般学生からはバカにされていた存在だと思うけれど、彼ら自身は羞恥心なんて感じていたのかな。微塵もないように僕には見えた。妙な使命感やヒロイズムがあるだけで。
稲川 松本さんはレジュメの冒頭で左翼に対する嫌悪を述べている。しかし、どのセクトにおいて、どういうシステムで運動をやっていたかというディテールを論じなければ、その嫌悪は一般的になってしまうと僕は思う。
早稲田を掌握していたセクトが悪いってだけの話なんじゃないの。
稲川 左翼がアクティブな運動を回収しているのが、松本さんは嫌なんでしょう。それはさんも僕も同じなんです。お金や人員の事務レベルまで含めて、運動の総体では思想の表層は機能的に回収される。それらが運動のひとつひとつとして浮上してくる。松本さんが感じたものは、回収システムの形態として浮上していた連中に対する嫌悪感なんですよ。
早稲田や法政の学館問題は、僕の本の内ゲバ論とも重なってくるんだけれども、つまり松本さんが嫌だなと思ったこと自体が、ある種のポストモダン的な管理システムなんですよ。『レフト・アローン』で津村喬にインタビューしていますけれども、彼なども第二次早大闘争のスローガンでは、学校当局と自治会が相互補完的になった管理システムに対する闘争と位置づけている。そういう意味では、松本さんの嫌悪感というのは自明のことなんだけど。
稲川 映画の中でさんは、津村喬のことを「左翼運動」とは言わずに「アクティビスト」といっている。それは、松本さんが言った「革命ではなく別の言葉で置き換えてくれ」ということに対する一つの姿勢でもある。七〇年代当時、アクティビストなんて言ったら、きっとぶん殴られていた。あえてそう呼ぶことによって、ある運動形態を並立化して表現するという姿勢は痛いほどよく分かる。七〇年当時にあった漠然とした津村喬的なものに対する嫌悪感が、三〇年という時間をかけてどのように変わってきているのかをさんは見ようとしている。僕は、アクティビストと言ったことで十分であると思う。アクティビストたるものに対して、今現在、松本さんは文学的な詩的な位置から嫌悪感を感じるのかどうかをお聞きしたい。
松本 活動家とか運動家と言うのと、「アクティビスト」と言うのとがどう違うのか僕にはやっぱりピンと来ません。詩的な位置と言うことなら、読者=支援者というような関係を想像してしまって、吐き気がします。「アクティビスト」という存在は支援者を必要とはしないんですか? どこかで必要としているのではないか。誰とは言いませんが、相変わらず自分の周りにいる人を支援者と呼んでしまうところがあるでしょう? 僕は誰も支援したくないし、誰からも支援されたくないんで、そういう意味では「アクティビスト」たろうと思ったことは一度もないです。ただ、詩を書くといった時に、ぜんぶが入って来ますから、単に嫌悪感にのみ回収できないようなわだかまりは当然あります。無意識のうちに何者かを支援してしまっているのではないかとか、支援を求めてしまっているのではないかとか。質問の答えにはなっていないかも知れませんが。
詩の話と津村の話をくっつければ、津村さんがジャーナリズムで活動している時に、岡庭昇なんかとつるんでいたわけですが、岡庭さんは詩人でもあるわけですけど、そういう所に対する嫌悪感というのがありました。岡庭の水準で詩を捉えるのはおかしいという。今、稲川さんがおっしゃったように、かつては安里くんのような詩に対する嫌悪感というのはあったわけですよ。多少洗練されているが、究極Q太郎の詩なんかにも。アジプロ的な詩に対する嫌悪感はずっとあったと思うんですよ。三〇年間でかつての嫌悪感が決して払拭されたわけではないんですが、そういうことを全部切り捨てたことのマイナスがあったのではないか。というのがちょっとした総括なんですね。
井土 さっき稲川さんの言った、六八年の切断面を継承や継続と捉えないで、すべて終わったんだとする歴史観が、現代詩ジャーナリズムで支配的になってしまったことの帰結としてですか?
稲川 それと同時的な問題ですよ。たえずアンビバレンツな条件があったわけで、切断があったときに残るものは、嫌悪感とある種の継続感と、本当にそうなのかという疑問なわけです。岡庭昇的なものはシステムの回収の仕方が問題なのであって、岡田隆彦の『史乃命』について当時の岡庭は書いてますけど、文学的にシンボライズさせて分かりやすくさせる。当時のアンビバレンツな状況に対して、一元的な論を示すのが当時の岡庭の特徴です。暴力的に一元化しようとする衝動とそれに対する嫌悪感は、それ自体をアンビバレンツなものとして認めなきゃいけなかった。どっちに口をつむるかというと、自分のしていることに口をつむるわけで。そういう状態だったと思う。