鎌田哲哉/NAM会員へのメール@(『Q-NAM問題資料集』より)
*資料番号は暫定的なものである。注釈や明らかな誤記の訂正は[ ]で表示している。
[S-18]鎌田哲哉からQ議論用MLへ
Sent:Saturday, July 03, 2004 11:16 PM
Subject:[q-user-discussion] 新規監査委員募集についてのお願い
監査委員の鎌田です。すでに高山さんからの告知にあったように、監査委員会では新規監査委員の募集を始めます。立候補受付期間は7月4日からですが、この選出に関して私個人からも一言付け加えたいことがあります。
それは、新規委員には、ぜひQ-project(Q-hiveや監査だけでなくコミュニティをも含む)に外部の視点、外部の空気をもたらしてほしい、ということです。幸い、契約更新を含むこの数か月の間に、Q-projectには新たに新規会員として入会された方々が何名かいます。そのうち複数の方が、監査委員に立候補する意志を示しています。新会員には、とりわけ第三者的視点からQ-projectやQ-communityの現状を批判的に眺めることが可能でしょう。ですから私は、今後この方々が新監査委員として活発に活動していけることを強く望んでいます。契約を更新し、杉原さんや関本さんのように、非公式に新規監査委員への立候補を表明(ないしはその可能性を暗示)している元NAM会員の方も、この点を了承し、新規会員の方の希望を尊重するよう強く求めます。
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以上でわかってもらえればいいですが、それは現在の議論用MLの水準では無理でしょう。杉原さんや関本さんのような疲れを知らない議論好きは、「元NAM会員を差別するな」「自分達にも立候補する平等な権利がある」といって息まくかもしれない。たとえば、私は西部さんの手引きで今年の4月に強引に関本さんと会わされましたが、関本さんはその時、自分が今度は監査委員に立候補する、と興奮してしゃべっていました。また杉原さんも2月8日のメールで、小田中さん宛てに「次期の監査委員になって鎌田氏による監査活動の是非についてメスを入れられてもいいでしょう」と書いている。これはどういうことですか。小田中さんへの進言というより、自分自身の今後の行き方の暗示ですか。杉原さんにとって、自分がNAMの事務局長、あるいはQ監査委員や管理運営委員の時代にQにもたらした混乱や過失はとうにリセットされており、それを公開的に総括する作業を放棄したまま、今回再び監査委員に立候補する決意を固めた、ということですか。正直言って、議論用MLはもちろん、現在のQコミュニティーでこういう人が少数派なのか否かさえ私には分りません。
そこで簡単に補足します。もし、杉原さんや関本さん、あるいは似たような発想をする元NAM会員がどうしても監査委員に立候補したければ、それは全く構いません。――ただ、私の側でもいくつかの希望を述べたい。まず、次のことを絶対に忘れないで下さい。それは、この数年のNAMとQのトラブルがNAM内部での紛争ではなかったことです。トラブルは、NAM内部でのQ批判派とQ支持派の間にだけ生じたのではない。Q-projectには、非NAMのQ会員がいたのです。規約だけを読み、NAMがQにとって一ユーザーに過ぎず、NAMの会員と非NAMの会員とが立場上対等であると理解して参加した外部の第三者がいたのです。その意味で、自らの意志でNAMに参加した全てのNAM会員は、NAMの引き起こした行動に関して、外部の他者に「責任」をもちます。Q批判派であれ、支持派であれ、NAMの一般会員も例外ではありません。外部の他者との関係においては、彼らは最低限自発的な意志でNAMに加入し、通信ルールの極端な閉鎖性を生み出し維持し、民主的な運営や対外情報公開を実現しえなかった事実、――これらについての「責任」を問われます。
一般に、「責任」とは「誰に対する」責任か、という問いと切り離すことはできません。私が言いたいのは、少なくとも議論用MLの投稿に関する限り、NAM内部での責任問題を考慮はしても、生じたトラブルや不正行為がNAM外部のQ会員にも及んだ事実への視点がほとんど欠けていること、その結果、元NAM会員の多くが責任の所在を柄谷行人氏その他の一部グループだけにあり、自分達は完全に被害者であり部外者だった、という考え方に陥っていることです。これは、小さく見えるが決定的な誤謬の原因です。NAMの解散に伴い、NAMとQのトラブルは「事件」としては過ぎ去りました。しかし、この過程で示されたNAM会員の「鈍感さ(他者感覚の不在=責任意識の欠如)」そのものは過ぎ去っていません。「鈍感さ」が過ぎ去っていないとは、それが過去を総括する(年譜や資料解説を作る)様々な機会において、事あるごとに問題回避や自己正当化の欲望として執拗に現れる、ということです。そこには戦「後」責任の問題があり、具体的には次の多様な態度として示されています。
@情報公開について、監査委員会がこの一年間行ってきた情報の対外全面公開の基本方針を損壊しようとする姿勢、特に管理運営委員や監査委員等の役職者の実名公開をやめさせようとする姿勢。
ANAMの運営に中枢的に参画しまたNAMの過去ログを相当量所有しながら、当の過去ログについては厳格な閉鎖性と秘密主義を堅持したままで、Qの過去ログの一方的な引用権利だけを要求する姿勢。
BNAMの内部事情が外部に伝わってこなかった責任が、NAM会員自身にある(NAM存続時には厳格な通信ルールを制定容認し、NAM解散時以後は公開的な自己総括を放棄した責任がNAM会員一人一人にある)事実を忘却し、「非NAM会員はNAMの実情を知らない」というタイプの言明を繰り返す姿勢。
CQの年譜作成等を行う過程で、(かつての自分の功績等は盛んに強調する一方で)NAMがQに対して起こした一連の不正行為や破壊行為にほとんど言及せず、自分達の加担した行動を実質的に忘却し偽造しようと努力する姿勢(注1)。
D「自分は被害者である」「部外者である」との言明を繰り返し、悪かったのは柄谷行人氏だけで、自分自身もNAMの閉鎖的な通信ルールや組織運営の現状を生み出し、放置した責任があるのを承認できない姿勢。
以上は、A)議論用MLでの議論、B)杉原さんが3月に監査委員会に送付したNAMの過去ログ(注2)、C)関本さんと会った時の会話の内容、さらにD)古川さんが1月以来繰り返し私に送ってくる私信(注3)、それら全てが含む問題点をまとめて個条書きにしたものです。立候補の開始が近づいているので、三氏の考え方の批判(ついでに、小田中さんのパンフ回収提案の底にある考え方の批判)は別の機会にやりましょう。
今言いたいのは、私がNAM会員一般を排除しているのではない、ということです。誰にとっても、全会員による対等な立場での監査委員会の運営が理想のはずです。しかし、上記の行動様式に固執する人にそれを要求する資格があるでしょうか。「NAM会員を排除するな」という言動に隠れて、彼らは当の自分自身がその思考から非NAM会員を排除してきた事実に眼を閉ざしているだけです。NAMがQに対して行った不正行為や破壊行為の性質に照らして、こういうタイプの会員が監査委員になるのを承認することは私にはできません。それは、オウム真理教やスーパーフリーの一般会員が、自分自身や自分の所属した組織を公開的に自己批評する責任を放棄し、「悪いのは麻原や和田だ、自分は何もしなかったしむしろ被害者である」と考えて、外部の被害者の会、少なくとも組織外の被害者も存在する別組織の監査委員になるのと同じです。NAMが総括をやらずに解散したからといって、それぞれの会員までが自己批評や総括の「責任」から解除されるわけではありません。むしろその逆なのです。
従って、仮に杉原さんや関本さん、あるいは似たような発想をする元NAM会員がどうしても立候補する場合、私の希望はこうです。お二人は、まず「責任」についての上記の考え方を承認し、@ABCDやそれに類する姿勢を放棄することで、この承認を具体的なレベルで実行に移して下さい。これは口先だけで承認します、と言って済む問題ではありません。繰り返すが、あなた方が当MLや諸掲示板、あるいは私宛の個人メールでまきちらしてきた発想や行動の多くには、NAM外部の第三者の存在に極めて鈍感な「責任」感覚の不在が存在します。この事実の承認は、これまでのお二人の言動への修正を必然的に迫ります。――逆に言えば、その問題点を監査委員立候補に当たって改変し、修正することをこのML上で約束しない限り、少なくとも私はあなた方の監査委員立候補を認められません。その場合、改めて高山さんと協議の上、このML上で報告します。
以上です。メールの完成が直前になって大変申し訳ありません。なお、これは鎌田個人の判断によるもので、監査委員会の正式決定では全くないことを繰り返し明記します。
(注1)関本さんは4月に自作の「地域通貨Qに関する年譜」年譜を掲示板上で修正しましたが、これは私との議論の後にようやく行われたものです。年譜は2002年9月以後のトラブルに全く触れていないことで、実質的に歴史を忘却し偽造する効果を持っている。高額不正取引、管理運営委員の集団退任、柄谷行人氏の扇動メールに基く返金騒動、それら全てを正確に書きこむべきであり、自分の「功績」を強調する場合でも、NAM側の不正行為を明記しなければ全く説得力がない、――それが私の主張です。しかし、関本さんの修正は(上記の中では)高額不正取引のみに終りました。莫大な時間を費しただけに、非常に残念です。
(注2)なお、杉原さんはこれを「原資料」と称していますが、私はこれを全く認めません。実名の多くや杉原さん以外の投稿の引用が全て削除されているからです。これは「原資料」どころか「改ざん資料」と呼ぶべきもので、読んでも当時の事情はろくに理解できず、資料的価値はほぼ皆無です。杉原さんの西部さんへの悪質な言動の個所だけはわかりましたが、それはQ-hiveのメールを読めば十分でしょう。そもそも、杉原さん個人の性格的な問題はどうでもいいのです。
(注3)ここで古川さんにお願いがあります。昨年11月に私の解説文[「京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開」のこと]がQ-WEBに掲載された後、古川さんの疑問が宮地さんや高山さんから間接的に私の元へ届きました。私は黙っていましたが、その後古川さんから直接メールで異議をもらい、一度だけ自分の持ち時間の範囲でお答えしました。しかし、古川さんは自分から一方的に「反論」を宣言し、私が返事を出さないでいるうちに、数通のメールが届いて今に至っています。――私から見て、古川さんの態度は極めて自己中心的なものです。彼女と私のやり取りにおいて、議論をもちかけてきたのは古川さんです。解答するかしないか。それを決める権利は私にあります。返事が来ないからといってしつこくメールを送り続けるべきではないし、かといって、一番最近のメールのように突然「返事は結構です」と書くべきでもない。いずれのやり方も、他者の反応を一方的に回避する姿勢において選ぶ所はありません。相手が解答するか否か、それを自分で決められると思うのは傲慢なことです。いま古川さんにできるのは、来るかこないか分らない私の返事を待つこと、そして、それに対しては二度としつこく返事を書かずにいることではないですか。――公開の場でこう書くのは大変心苦しいです。でも、すでに攝津さんや杉原さんから似たようなことをされ、私も非常にうんざりしています。監査委員の役職上仕方がない面もありますが、どうかご理解下さい。