森谷めぐみ/岡山映画祭2005をめぐって
1 映画「レフト・アローン」の上映を企画して
2003年の岡山映画祭(期間2003年9月27日〜10月19日)終了後、わたしははじめて、映画「レフト・アローン」のパイロット版のビデオを見た。これは2003年の映画祭で上映が検討されながらも、諸事情で実現しなかったものである。
2005年になって完成版ができたことを知り、わたしはなんとかしてこれをこの年の映画祭で上映できないものだろうかと考えた。同じ頃、「重力」編集会議よりブックレット「LEFT ALONE 構想と批判」が発行された。これは、明石書店が書籍版「LEFT ALONE」のために映画に関する追記を出演者の鎌田哲哉氏に依頼したにもかかわらず、それが、この映画の欠陥はNAM問題を回避したことにある、秀実氏や柄谷行人氏はNAMの行ったQプロジェクトへの組織的破壊工作とその隠蔽に関して批判されるべきであるという内容だったため、柄谷氏を恐れた明石書店側が改稿を要求、それを拒否し、書籍版への関与から降りた鎌田哲哉氏によって、急遽出版されたものである。
NAMとは柄谷行人氏が提唱し、一時は700人もの会員を集めた運動組織のことである。わたしはNAMの会員であり、責任者の一人だった。このブックレットを読んで、わたしは暗澹たる気持ちになった。NAMでも柄谷氏に対し、批判的な発言をする会員は暴力的なやり方で沈黙させられたり、排除されたりしていった。参加的民主主義をうたいながらも柄谷氏による独断と、それに追随する幹部たちによる隠微な情報操作で、柄谷氏にばかり権力が集中する不健全な組織と堕していたのだ。解散したからといって終わりではない。NAM問題は一組織の問題をこえて、未だ続いていると感じた。
わたしは2005年の岡山映画祭で映画「レフト・アローン」を上映することでこの問題について考えてみたいと思った。しかし同時にためらいを感じた。いうまでもなく映画祭はNAMとは別の組織であり、スタッフの中でNAM会員だったのはわたしだけなので、個人の特殊な経歴からくる動機を映画祭という場に持ち込むのはどうだろうか? という迷いが生じたのである。しかし上に書いた事実もあり、NAMの問題は特殊な一組織の問題ではなく、どのような組織や場でも今度反復されて起こりうると強く感じられたため、映画祭の人たちともぜひこの問題についてともに語りあうことがしたかった。
しかしこの意図は失敗に終わった。わたしは「レフト・アローン」の企画担当者として名乗りをあげ、上映の可否を検討するための試写会を4月29日に行った。試写会後に寄せられた意見の中でわたしを意気消沈させ、言葉を失わせたのは、NAMの問題は映画には映ってはいないので、上映を企画するにあたって主要なテーマとしてとりあげることはできないというものだった。
NAMに直接ふれられてはいないとはいえ、地域通貨やくじ引きについての柄谷氏の発言は明らかに当時のNAMや始まったばかりのQプロジェクトを前提にしたものだったし、NAMとQとの紛争、書籍版「LEFT ALONE」の発行に際して起こった問題も公開された形で存在している。しかし東京で映画を見た友人にきくと、NAMの運動がどんな帰結をたどったかを知らないのか、知っていても興味がないのか、単純に柄谷氏のいうくじ引きや地域通貨の可能性に感心している若い人たちもいるらしい。映画には映らない部分で抑圧され排除されている事実があるのは明白なのに、なぜそれを見ようとはしないのか? わたしは見えない壁のようなものを感じ、NAMにかかわることで直面することになった多数者による匿名的な圧力や暴力の存在を再びこの映画祭においても感じざるを得なかった。
並行して様々な問題が生じていった。試写会をするにあたって、わたしは2003年に試写用に借りたパイロット版のビデオが、それを保管していたスタッフから製作者サイドに未返却になっていることを知り、謝罪と共に返却した。またわたしはある事情から試写会後、一時現場を離れなくてはならなかった。事前にわかっていたにもかかわらず、その間の連絡や上映についての決定をどうするかについての打ち合わせが不十分で関係者に過大な迷惑をかけてしまった。またその間、岡山映画祭の公式HPにおいて、試写会での様子を伝えるものとして「「レフト・アローン」は賛否両論まっぷたつという感じで、決定は次回に持ち越します。もしやるとなれば監督の井土さんをお招きして徹底討論つきの上映会でないと意味がないという意見も続出したので、かなり熱い企画となる予感もあります」という記事が掲載されたが、これは岡山でまだ上映されていない作品に対して事前に偏った評価を観客に与え、作品の自立性を損なうという意味で作品に対する敬意を著しくかくものだった。
わたしはチーフとしてのわたし自身の不手際を反省すると同時に、映画祭の運営方針にも疑問を感じた。「レフト・アローン」の上映はしたい。新左翼や学生運動の歴史を知らない若い人たちに関心を持って見てもらいたいし、同時代を生きてきた活動家たちの話をききたい。上映の決定が遅れている要因のひとつにNAM問題があるのなら、もうこのことには固執しないほうがいいのではないか? 岡山ではNAMのことなど何も知らない、関心も持たない観客がほとんどだろう。NAM問題をそこでいうのは、市民主催の映画祭にいたずらに政治的で党派的なものを持ち込むことと受け止められているのだろうか?
しかしNAMを脇においてしまっては、この映画をやる意味の大きなひとつが抜ける気がした。わたしは深く混乱し、スタッフ間で話し合いを重ねていったが平行線をたどるばかりだった。
混乱はあったが、関係者ならびにスタッフらによる尽力に助けられ、最終的に上映が決まってからも、どのような上映会にするかについては、上記に書いた映画祭の雰囲気、正面からそれに立ち向かえないわたし自身の逃げ腰から、最後まで主体的な判断を下し、行動することができなかった。チーフ失格だったと思う。今度の運営の改善のために、パイロット版の未返却、上映の決定の遅れと連絡不足、HPの文章の問題点について経緯をすべて公開し、HPに謝罪文を載せるべきだと提案をし、そのような文章を書いたが 、受け入れられることはなかった。観客がスタッフとなり、スタッフが観客となるような往還的な、市民の手作りの映画祭では、どんな小さなことでも迅速にオープンにし再発を防ぐ姿勢を示すことが必要だと思われるだけに残念であり、今でもまだ納得がいかない。結局、HPには試写会の様子を伝える文章についての訂正と謝罪文だけが掲載され 、その他のことは映画祭終了後の総括パンフに掲載されることとなった。
上映を検討する中で、あるスタッフから鎌田哲哉氏の「LEFT ALONE 構想と批判」に関して、なぜ鎌田氏はあのような暴力的な文章を書くのかという疑問が出された。わたしは鎌田氏が暴力的なのではなく、鎌田氏をそうさせるよりいっそう暴力的な事態があるのでそのことを見てほしいと答えた。鎌田氏の言説を含めNAM問題を扱うことを党派的と呼ぶ人がいるなら、同じように言いたい。陰湿で支配的な排除の党派性に加担しているのはむしろそう呼ぶ人たちなのだ。その暴力的で党派的な事態とはNAM問題の存在を知りながらも、映画に映っていないという理由でそれを見ようとしなかったり、瑣末なこととはいえ様々な不手際を繰り返したりしてしまう映画祭自身の姿勢、それに疑問を感じながらもきちんと抵抗できなかったわたし自身の駄目さ加減にも通底することだろう。
上映会当日、わたしはチーフとしてこの映画を見に来てくれた観客への感謝と共に、この映画を企画した動機がNAMにあること、今後のNAMの総括はNAM会員自身で主体的に行わなければならないことなどをのべた。それができればわたしのような人間でも、自己欺瞞や逃避による責任転嫁、自分自身の弱さに耐えることができないまま、ややもすると多数で匿名的な暴力へと加担する傾向から逃れられるかもしれないと願いつつ。
結局そのことが唯一、今回、様々な迷惑をかけたにもかかわらず暖かく協力してくれた関係者たち、意見は一致しなくても表には出ない地道な努力で上映を支えてくれたスタッフたちにこたえる道となるだろう。
(注1)森谷が考えた文案は以下のとおり。
このたび「レフト・アローン」上映決定にいたる過程で、岡山映画祭の無責任な行動により、スピリチュアル・ムービーズの吉岡文平様ほか関係者の皆様に過大なるご迷惑をおかけしました。この場を借りて心よりお詫び申し上げます。以下簡単に経緯をご説明いたします。
岡山映画祭では2003年、当時完成していた「レフト・アローン」(パイロット版)の試写用のビデオをお借りしながらも、映画祭側の努力不足で上映についての検討を十分に果たすことができませんでした。その上、そのビデオを返却しないままスタッフの一人が保管し続けるという間違いをおかしました。
今回の「レフト・アローン」(最新版)については四月二十九日に試写を行ったにもかかわらず、その後も映画祭内部での討議が遅れ、上映に向けての合意形成の努力が不足したことから、七月になっても上映するかどうかの決定がなされず、その間の事情説明もスピリチュアル・ムービーズ側に対して行わないという間違いを、重ねておかしてしまいました。それに加え、試写後の限られたスタッフによる討議中の内容を不十分な形でHPに掲載することで、岡山ではまだ上映されていない作品について、事前に偏った評価をあたえるという過ちをおかし、作品に対する敬意を著しく欠くことになりました(*)。
以上の問題点については、まことにお恥ずかしい限りですが、いずれも外部からの指摘を受けるまで、映画祭内部では気づかれませんでした。根本的なところで、我々の作品に向き合う姿勢に甘さがあること、作品と全力でかかわろうとする真剣さを欠いていることを認めざるを得ません。岡山映画祭では、実行委員一人一人がこのことを反省し、あらためて映画と向き合う責任の重さを痛感した上で、今後の上映活動に携わっていきたいと思います。以上のような経緯にもかかわらず、スピリチュアル・ムービーズの吉岡文平様ほか関係者の皆様が、日頃と変らぬ寛容で快活な姿勢で対応して下さったことや、出品を快くお受け下さったことに深く感謝し、多くの観客と作品のよい出会いの場となれる映画祭を目指します。
(*)HPには更新担当者の手で「やるとなれば監督の井土さんをお招きして徹底討論つきの上映会でないと意味がない」と書かれており、これは映画祭全体の意見だと思われて当然です。「レフト・アローン」は作品それ自体に価値のある映画ですので、誤解を与えるような記述をしてしまったことについて深くお詫びします。たいへん失礼いたしました。もちろん討論が実現されたら、それはまたそれ自体で価値のあるたいへんおもしろい時間となるでしょう。
(注2)映画祭公式HPに掲載された文章は以下のとおり。
09/04 ちょっとお休みしていましたが、8月は遊んでいたわけではありませぬ。映画講座の二回目とか、実行委員会とか、カンボジア映画の試写会とか・・・その合間にいろいろと事務的なことも続いておりまして、多分「映画祭ダイエット」という本も書けるようなことも体験しつつ、それでも映画祭は待ってくれないので、微速前進を続けていくわけです。
さて、お休みの理由は、この欄で以前書いた部分で、「レフトアローン」の関係者の方に御迷惑をお掛けしたところがあり、そのことは実行委員会の議題とし、また、プロデューサーの方とも直接お話できる機会がありましたので、こちらの思いもちゃんと伝えられることができたと思いますが、その間はやはり自粛すべきだという判断からです。 なお、事実関係につきましては、映画祭終了後に作っています「映画祭総括パンフレット」に掲載し、今後の引き続いての課題として議論していくこととなりましたことを御報告致します。
さる4月、岡山映画祭HPに掲載致しました「レフトアローン」の試写報告につきまして、私の表現の至らぬ点があり、スピリチュアル・ムービーズほか関係者の皆様に過大なるご迷惑をおかけしましたことをこの場を借りて心よりお詫び申し上げます。「また、レフトアローンは賛否両論まっぷたつという感じで、決定は次回に持ち越します。もしやるとなれば監督の井土さんをお招きして徹底討論つきの上映会でないと意味がないという意見も続出したので、かなり熱い企画となる予感もあります。」という部分は、岡山ではまだ上映されていない作品について、HPの読者に事前に偏った評価をあたえる可能性があり、結果として作品に対する敬意を欠くことになりました。「何故この映画を上映するのか? したいのか?」当たり前の問いかけが、映画祭を続けていくうちにどこか希薄になっていたのかもしれません。映画上映のみならず、監督をお招きして、話をすれば自然と映画へのかかわりが深くなるものだと安易に考えてしまったのかもしれません。一本の映画に対して真摯に向き合うこと。がこの映画祭の始まりでした。ならば、今一度原点に立ち戻り、自らの関わり方を問い直すことで、「映画を上映すること」を考えていきたいと思います。
2 リティー・パニュ監督の三つの映画の上映をめぐって
2005年の2月、リティー・パニュ監督の「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」を山形で見た後、わたしは井土紀州監督の映画「レフト・アローン」とこの映画を併映する形で企画が立てられないかと考えた。アメリカの庇護の元、繁栄を享受してきた日本における左翼運動の歴史を振り返る映画と、内戦と毛沢東主義に心酔したポルポト派による支配とに痛めつけられてきたカンボジアで生じた大虐殺を検証する映画とを対比させることによって、日本の左翼運動の問題点と限界をより明確な形でとらえられるのではないかと思ったのだ。しかし試写会後の会議で賛同は得られず、「レフト・アローン」については「映画「レフト・アローン」の上映を企画して」で書いたような問題が生じたため、この企画はあきらめた。
「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」はたいへんいい映画だったので、最終的にはこの映画と「さすらう者たちの地」、新作の「アンコールの人々」の三つの映画をリティー・パニュ監督特集としてあわせて上映することとなった。わたしはこれらの作品を限られた映画ファンだけでなく、カンボジアに実践的にかかわる人たちにも見てもらいたいと思い、そのための模索をはじめた。まずJICAのシニア・ボランティアとしてカンボジアでの活動経験のある井上正樹氏に会い、現地についての話をきいた。次に倉敷に本部のあるNGO団体、CVSG(カンボジアの村を支援する会)の村田みつお代表に会いに行き、上映会への協力を求めた。村田代表はチラシ配布への協力を申し出てくれ、カンボジアからの留学生との交流会を持ちたいというわたしたちの意向に答えて、岡山県立大学に在学中のTann Dara氏を紹介してくれた。(Tann Dara氏については井上氏からも紹介を受けた)
しかし協力はそれが限度のようだった。わたしはできれば村田氏にも上映会にきてもらい、カンボジアの現地の様子を話してほしいと頼んだが、断られた。村田氏に参加を依頼するイベント、交流会は無数にあり、いちいち答えていては肝心の国際貢献ができなくなってしまうというのだ。この時の村田氏の苛立ちをこめた話しぶりは、後になって読んだ目取真俊氏の『沖縄「戦後」ゼロ年』の一節と共に何度も思い起こすことになった。目取真氏の文章にはこうある。「沖縄から基地問題を訴えると、聴衆はまじめな顔をして聞いてくれるかもしれない。しかし、それでいったい沖縄にとって何が変わるのか。聴いた人達はいったい何をするのか。何名の人が、日本と沖縄の関係を変えようと具体的に努力するのか。そういう疑問が起こってならない」
とはいってもあきらめてしまいたくなかった。わたしはTann Dara氏に連絡をとった。Tann Dara氏もやはりアルバイトや授業におわれているので、11月の上映会への参加は無理だということだったが、8月で唯一の休日を使って「さすらう者たちの地」の試写会にきてくれた。限られたスタッフたちの前ではあったが、そこで話してくれたカンボジアの社会の現状やポルポト政権が残した傷跡、将来はカンボジアで会社を作って社会のために貢献したいという氏の望み、そして何よりその日、氏がわたしたちのためにさいてくれた時間の重みが、わたしたちに確実に伝わり、この社会を変えて行く何かの力につながっていくことを信じている。
「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」の上映後のアンケートに「クメール・ルージュの政治的背景(中国毛沢東派による、文革路線の延長としての他国への「革命」輸出)がまったく描かれていないので、見た人はわけがわからないのではないでしょうか」という疑問があった。カンボジアのことは確かにあまり知られていない。関心のある人は自ら情報を求めてほしい。閉ざされた安全な空間の中で映画を見るということ自体おそらく特権的なことなのだ。困難な状況の中で作られる映画、続けられる活動に対して寄せられる関心を一時的なものに終わらせず、消費させないためにどうすればいいのか? 映画製作者たちや活動家たちを支援するつもりで行うことが、行う側の無感覚さ、無責任さから、逆にその人たちを追いつめて傷つけ、疲労と沈黙へとおいやり、最終的には突発的な暴力さえも誘発することになるとしたら? つきつけられた問いは重く、わたしたち自身に突きつけられた銃口のようである。しかしそれを見つめ、見つめかえされる危険と共に生きることが、リティー・パニュ監督の映画に描かれたおびただしい死者たちの声に耳をすませることだと思う。
(もりたに・めぐみ……岡山大学図書館勤務、元NAM地域系中四国連絡責任者。主要論文に、「開かれた豊かな文学」(「情況」01年5月号)など。論文「NAM解散前後」を「重力03」に発表予定)