沖公祐/「重力」の問題


 三月末日に「重力02」が出版され、作り手としての参加者の仕事はひとまず終わった。現在、「重力02」は解体・分離の過程に入っている(その一端は4月6日のシンポジウムで示されるだろう)。この過程自体は、一号ごとに生成と解体を繰り返すという「重力」のシステムにはじめから組み込まれていた時限性の発現にすぎず、何らの問題もない。問題なのは、「重力02」がこれ以前の製作の段階でも度々解体・分離の可能性に直面してきたという事実だ。そして、それは単に参加者のキャラクターに還元できる問題ではなく(むろんそれもあるが)、むしろ構造的なものである。
 「重力」の問題は、思うにその不明瞭さにある。例えば、「重力」編集会議として判断を下そうとする場合、何がその基準となるか分明ではない。このため、場当たり的な妥協が繰り返される一方で、参加者間の対立が突発的に現われてくる。暗黙の前提がメンバー全員に共有されている類の同人誌ならば、こうした不明瞭さも許容しうるかもしれない。だが、「重力」は異人誌であって同人誌ではないという。では、自立した個人=異人が協働しうる原理とは何か。それは「連合の原理」にほかならないだろう。しかしながら、「重力」のもつ不明瞭さは、「連合の原理」における実定性と鋭く対立する(注1)。
 もっとも「重力」も「連合の原理」を掲げる以上、実定性を無視してきたわけではない。すなわち、「重力」には「『重力』の前提」(注2)なるものが存在する。しかし、この「前提」は二重の意味で不明瞭であり、したがって、実定的な契約たりえない。第一に、「『重力』の前提」の位置付けが不明瞭であり、第二に、「『重力』の前提」そのものが不明瞭である。
 第一の点については、簡潔に述べよう。「『重力』の前提」は参加者(私自身を含む)にほとんど共有されていない。そうであれば、「『重力』の前提」は放棄されるか、少なくとも修正を迫られるべきだが、そうなっていないところに「重力」の分かりにくさがある。「重力02」において、参加者間の対立がしばしば「『重力』の前提」を巡って引き起こされてきたのは、決して理由のないことではない。
 このような「『重力』の前提」の位置付けは、この「前提」自身の不明瞭さに起因している。「『重力』の前提」とはこうだった。「経済的自立は精神的自立の必要条件である」。したがって、「重力」は経済的自立を前提(目的?)とするものだとひとまず言うことができる。ここで経済的自立が二つの異なるレヴェルについて述べられていることに注意すべきだ。すなわち、個人のレヴェルと雑誌のレヴェルである。個人のレヴェルのでの経済的自立の意味するところは――その当否を差し当たり問わないとすれば――分明である。すなわち、「『書くこと』以外で飯を食うこと」であり、それは「状況的かつ物質的な強制の問題」にすぎない。しかしながら、雑誌のレヴェルにおける経済的自立については単純ではない。
 「重力」は「すでに最低限の自立を他の仕事で獲得している数名の書き手を誘い、一定の金額を出資し、生じた利潤と負債を均等に負う」という方式を採用している。ここからすぐに分かるように、「重力」が経済的自立を獲得する財源としては、次の二つが考えられている。すなわち、参加者からの「出資」と、販売による(費用と)利潤の回収である。
 「重力」の雑誌としての経済的自立は、これら二つの財源の組み合わせによって得られる。「『重力』の前提」の不明瞭さはこのことから直接に生じる。経済的自立を獲得するために、「重力」が両者のいずれに力点を置くかがきわめて恣意的で、不確定的なのだ。例えば、既存の出版・流通形式を利用したり、販促イヴェントを催したりするときには、後者の重要性が強調されるが、また、別のときには軽視されることになる(注3)。
 厄介なのは、両者がフレムトなものではなく、後者が前者に依存する関係にあることだ。さらに、前者は個人としての経済的自立の程度に規定されている。このため、「重力」を販売すること(およびそのための営業)の重要性は、参加者の経済的自立の度合いに応じて異なることになる(注4)。両者の関係を確定にしない限り、「『重力』の前提」は、明瞭な目的のための実定的な契約たりえないのだ。

 結論を言う。今後、「重力」が――仮に続くとしてだが――採りうる選択肢は二つしかない。すなわち、暗黙の前提を共有しうる同人誌に後退するか、「連合の原理」に則り、実定的な「前提」を作りなおすか、のいずれかである。


(注1)プルードンによれば「連合の原理」とは次のようなものであるという。

限定された一ないし多数の目的のための双務的、実定的な契約であり、しかもその基本的な条件は契約当事者が、彼らが放棄した以上の主権と行動とを自らに留保するものである。(「連合の原理」)
 「重力」の契約は双務的というよりも片務的であり、実定的というよりも射倖的であるように思われる。

(注2)鎌田哲哉「『重力』の前提――進行中の批評(4)」(「早稲田文学」2001年9月号)

(注3)私は、鎌田哲哉「あいさつ文:『重力』サイトリニューアル、および『02』について」(重力webサイト)を巡ってこの点で対立した。

(注4)同様の問題から、参加者相互の依存関係が惹起される。重力の出版・販売にかかる総費用は170万円余り(「重力01」の場合)であり、これは参加者の出資金10万円×7=70万円を大きく上回っている。それでは、その差額はどのようにして調達されるか。言うまでもなく、より経済的に自立している参加者に対して、自立の程度が相対的に低い参加者が依存することによってである。