だが、話はこれで終らない。もしそれが事実の全てなら、私自身が心からほほえんでこの一文を書くことができた。だが上記とは逆に、「LEFT ALONE」には、取り返しがつかない「現在」の致命的な排除がある。この映画は、その製作過程と全く同時期に生じた出来事、対話相手の柄谷行人や何より主人公の秀実が深く関与した一つの出来事をあらゆる個所で隠蔽しており、しかも隠蔽自体がなかったかのように映像全てを進行させてしまっている。言うまでもなく、この出来事とは「資本と国家への対抗運動」を自称したNAM(New Associationist Movement)の問題である。
NAMの結成と解体の経緯、内部における知識人と大衆との相互癒着的な依存関係、さらにその解体過程で生じた地域通貨団体Qに対する旧態依然たる左翼的破壊工作の内容、それらについてこの場で触れることはできない。時間があれば、地域通貨QのWEB上に掲載されている私の文章「京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開」
(http://www.q-project.org/
、今後生じうる反論に備えて結語は未完)を読んでほしい。というより、そもそも事実関係を正確に書きとめた文章自体が、管見の範囲では私のもの以外に存在していない。すでに浅田彰、渡部直己、山城むつみ、岡崎乾二郎、その他戦力にならない連中を含めて、NAMに参加した文化人にあっては、そこで起きた出来事を頬かむりして殆ど言及することなく、色目使いの対談芸か深遠な理論的考察のどちらかに夢中になることが当然の習慣になっている。秀実や井土紀州の態度は誰もがやっていることであり、「LEFT ALONE」さえ撮らなければ、彼らだけが突然批判されるいわれは全くないのだ(念のため、井土と私はNAMに入っていないことを断っておく)
だが、井土とはとにかくこの映画を作った。予測の外にある出来事だとしても、NAMの生成と自滅(さらに、NAM会員が自立した外部団体の運営へ集団的破壊工作を実行した事実)も否応なく映画製作と同時的に存在してしまった。とすれば、「LEFT ALONE」が新左翼の誕生と転形の総決算を目標とする限り、この同時性を回避してなかったことにするのは単なる自己欺瞞でしかない。NAMもまた、主観的には日本の左翼運動の理論的で実践的な総括と揚棄を課題にしていたからである。より正確に書けば、「LEFT ALONE」とNAMの密接な関連性=同時性を自ら語りだしたのは、他ならぬ主人公の秀実自身なのである。
たとえば、はNAM結成直後の駒場祭で「「二十一世紀の資本主義」における大学──駒場アピール──」という文章を発表し、自分がNAMに入会した動機を述べた。長文を要約すれば、(1)自分はNAM以前から、資本主義への多様な対抗運動=「反システム運動」にコミットしたいと考え、実際にコミットしてきたが、その一つに一九六八年革命の歴史性を問う映画「LEFT ALONE」がある。(2)しかるに、柄谷と久々に再会してNAMがやはり「持続する六八年革命の現在的なあり方を更に追求しうる」場であることを確認できた。(3)だから「いろいろ異見があったら具体的な運動のなかで出していけばいいじゃないか」という前提で、柄谷の勧誘に応じて即座に加入を決めた。そういう趣旨の内容がここには書かれている。付け加えれば、「この映画は資金にきわめて乏しいので、この前、スタッフで話したのですが、NAM に相談してみることも考えられると思います」【注1】とまでは言っているのだ。
あるいは、NAMが自滅して以後の時期の映像を例にあげてもいい。秀実は第二部の終り近くで花咲に向って、「既在の大学の外で何かすることを考えろ」と言うのだが、まさにNAMこそが大学の外で内在的―超出的な運動を目指していたのだ。とすれば、この運動の崩壊過程とその原因への直接的かつ具体的な言及なくして、なぜ既在のシステムの外で「何かする」ことの困難を考えたことになるのか。大体、対話相手の一人(柄谷)が創設者で、主人公も主要メンバーであるにもかかわらず、NAMの名前すら話題に出てこないこと自体が根本的におかしいのだ。くじ引きや地域通貨についての声高な饒舌が、何故かそれを推進した組織名称だけを健忘し隠蔽する映像の反復強迫は、殆ど精神分析の一症例としか思えない。この問題が消去されたのは、自身の意向か、それとも柄谷行人にぺこぺこ気をつかったからか。都合の悪い事柄は回避するなら、これまでの日本人どもとしていることが変りないではないか。
すでに井土には重力MLや私信で書いたが、この映画はNAMの問題を回避すればするほど「現在」を隠蔽し、しかも隠蔽した事実の痕跡さえ隠蔽してゆく。サークルスペース移転阻止闘争の問題を扱うだけではどうにもならず、正確にはそれだけを扱うことはかえって悪い。主人公に不都合な「現在」を切り捨て、いわゆる反権力タイプが好むわかりやすく飼いならされた現在を差し出すことで、見る側が抹消された何かを一切感じとれなくなるからである。扱うなら両方だ。大学当局への批判だけをクローズアップして、がコミットした対抗運動内部の自浄能力如何の問題に目を閉ざすなら、前者の言葉も上っ調子になるのは当然なのだ。
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それだけではない。主人公のについては、もう少し言うべきことがある。たとえば、は井土紀州や丹生谷貴志とのシンポジウムで、「LEFT ALONE」における自らの位相を「ノイズ」と自己規定する。「ほんらい、相手にすらすらと語らせておくほうが相手も自分も心地よいものですが、今回はとくに松田(政男)さんと西部(邁)さんの、いつも彼らが話す「できあがった流れ」に対し、わざとノイズを入れていきたかった」(「早稲田文学」05年1月号)と偉そうにもっともらしいことを言っている。
だが、ノイズと言っても色々ある。この発言の直後に井土が言う通り、は西部に対して相槌を繰り返すだけで少しもノイズたりえていない。みかけは食い下がっている柄谷との討論の時も、「僕が言っているのはその程度のことでしかないんですよ」という不要な韜晦と自己卑下が、の言葉にはつねに付きまとう。一体、秀実は本当にノイズか、それともただノイズのつもりでいただけなのか。仮にノイズと呼ぶにせよ、それは相手を本当に脅かしたのか、本質的には快く相手の声と調和する引き立て役にすぎなかったのか。
──こうした疑惑が、の政治的実践の性質それ自体に延長されても全く不思議ではない。だが「LEFT ALONE」では、上記に判断材料を与えるの実践的な「現在」もまた削除されている。この映画は、カラオケ大好きな中年男がデモに参加し、文字通りノイズに近い悪声で流行歌を歌いまくる実践はとらえたかもしれないが、このノイズが彼の言う「具体的な運動」の場でいかに萎縮し沈黙へと俯いてしまうのか。その種の(非)実践については、全てを隠蔽することで完成してしまっている。
簡単なことだ。秀実はやっていることが一貫していないのだ。たとえば、先に引用したNAM結成直後の文章で、秀実は同じくNAM会員である小森陽一の剽窃行為をそこで公開的に指摘した。原典を一瞥すれば、この指摘に反論の余地がないのは誰の目にも明らかで、小森が自分の見解と称して尊大に提示する主張内容は、確かに他人の書物の全くのパクリでしかなかった。私は、の告発以後、この情けない出来事がどんな結末を辿ったのかを知ってはいない。小森陽一が、何と引き換えに事態を曖昧に糊塗して自分の正義面を今なお保っているか。論文を盗用された当人が、何と引き換えに黙認を決めこむことを選んだか。二人の胸だけがそれを知っている。確実に言えるのは、小森達の言動が本質的な文学者の困難や輝きとは無縁であることであり、逆に言えば、当今流通する俗悪な(立松和平的な)意味において、彼らの収拾策が全くもって「文学的」である、ということだけだ。
だがここで忘れてはならないことがある。それは、上記の指摘を嬉しげに行う秀実自身のダブルスタンダードの性質である。の議論のポイントは、小森が偉そうに説教する「正義」の核心に「偽造」と「剽窃」が潜んでいる、ということである。そういう問題を、NAM内部で今後積極的に扱って行きたい、とまで秀実はこの文章で言っている。ではなぜは、NAMそのものや柄谷行人に対して同じ原則を適用しないか。小森はただ一人、撒き餌をやればすぐに思い通りになるヘタレに迷惑をかけたにすぎない。だが、柄谷は小森どころの話ではない。その振り回す「正義」が「偽造」そのものであったこと、最低に見積もっても、自分を批判する者(Q幹部の西部忠や宮地剛、あるいは穂積一平)への事実無根の誹謗中傷を女々しく続け、自らのNAM退会をちらつかせながらQ破壊のための組織的戦術を煽動し、あげくの果てに近畿大学での職権を乱用して西部忠の地位を脅かしたこと、それらはNAMの極端に厳格で秘密主義的な通信ルールに妨害されながら、私がようやくその一年後に明白にした事柄である。NAM会員のは、内部の膨大なメールを容易に入手可能な位置にあり、やろうと思えば私程度の言動はリアルタイムでできただろう。実際、永山則夫問題の時には自身が議事録精査を徹底的にやっていたではないか(拙論「秀実は探している」(参考資料B)でも書いたが、彼の雑文の中で最も優れているのは、この仕事や『超言葉狩り宣言』のように、「記録」と「記録されなかったもの」との不可視の関係を明確にする具体的分析の実行なのだ。先述した「京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開」を執筆した時も、魯迅や大西巨人、あるいは「レーニン素人の読み方」の中野重治と並んで、私自身がの仕事を念頭に置いていた)。
人間は言いっ放しはできない。我々が口にする言葉は、いつも我々自身にはね返ってくる。「NAMが持続する六八年革命の現在的なあり方を更に追求しうる,少なくとも有力な場の一つである」と書いたのは誰か。「いろいろ異見があったら具体的な運動のなかで出していけばいい」と書いたのは誰なのか。小森ごときをいびりたいからでなく、秀実が本当に「六八年革命の現在的なあり方を追求する」ために「駒場アピール」を書いたなら、この時言わずに一体いつ「異見」を言う時があるのか。もしそう呼びたければ、蓮實重彦による天皇の東大への招請に反対しなかった等の理由で、石田英敬、高橋哲哉、小森陽一を「東大の三バカ」と呼ぶのは構わない。では、自身の無様な姿はどうか。今や関井光男や岡崎乾二郎と並んで柄谷行人のパシリ、東大の馬鹿どもよりもはるかに程度の低い、「近大の三アホ」にすぎないではないか。
私が言うのは、が近大の教授になったから堕落した、ということではないのだ。そういう主張は下品というより、のあり方を皮相なレベルでしかとらえていない。本当の問題は、ちんぴらでいられた幸福な時代に、彼が腹をすえて「雰囲気」や「空気」に反逆する習慣を獲得しなかった事実にある。大学教授になろうがなるまいが、秀実は元から一人では言うべきことが言えない。集団的な同質化圧力の中で、それへの異議を申し立てる「ノイズ」にはなりえなかったのだ。
【注1】なお、この記述の前後に私の名前も出てくるが、私はこういう金銭的相談をした「スタッフ」でないことは明言したい。井土や吉岡にとっても迷惑だったのではないか。とにかく、結成当初は興奮状態で上ずったことを色々口にしていたが、ゴタゴタで都合が悪くなるとはNAMの名称にさえ一切触れなくなった、ということだ。馬鹿らしいので詳細な引用は略した。暇な読者は、
http://www.linelabo.com/nam00b26.htmで勝手に読めばいいだろう。